現代は多くの人にとって住みやすい時代になったように思える。300円ほどで美味しい牛丼は食べられるし、ユニクロH&Mなどファストファッションブランドも台頭してきて、安くでオシャレな服を着られる。そんな時代に産まれたことをとても有り難いと感謝はしているが、比較的恵まれているであろう自分の人生を見るだけでも社会は完全に平等な場だとは言えないものだと考えている。

大阪臨海地帯の工業地域に産まれ、周りにはいわゆるブルーカラーと呼ばれる家庭の子供が多かった。自分の父親も例に漏れず、中卒の大工だ。もっと広い世界を見たいと思い、高校は地元の進学校に入った。卒業後は授業料も安く、家から通えるということから地元の国立大に進学するつもりだった。

しかし、高校3年になった春、自分の可能性を最大限に広げたいと思った。当時の自分が出した答えは東京大学に進学するということだった。親に話すと東京の大学に行くのは経済的に厳しいと反対されるのが関の山だと考えたことから、成績を上げて納得させることにした。

必死に勉強して7月の模擬試験ではそれなりの成績をおさめ、なんとか親を一度説得することに成功した。しかし、8月担任の先生から親を含めた3者面談をしたいと言われた。その面談では担任には「うちの高校からは実績が無い」と反対され、母親には「経済的に厳しいから地元の国立にしてくれと」反対された。反論しつづけてはいたが数時間に渡り説得された17歳の自分はついに心が折れてしまった。そして地元の国立に進学した。

 今となっては当時の親の気持ちや担任の気持ちも理解はできる。しかし、あのときの自分の絶望のような気持ちを味わう人はもっと少ない方がいいと心の底から思っている。青臭い考えだが、この社会が誰もが納得するまで夢を追えるような場になることを願って止まないし、理想の社会に近づけるために出来るだけのことをすることが自分の使命だと考えている。