平等でない世の中には”怨望”が蔓延するという指摘が福沢諭吉『学問のすすめ』の中にあります。
怨望とは他人をうらやみ、ねたむ気持ちです。
学問のすすめが書かれた明治時代に比べるといくらか平等な世の中にはなったんでしょう。
それでもまだ平等じゃない部分っていうのはあるんやとは思います。
それぞれが自分の特徴を発揮して自由に生きるという自由主義のプロジェクトはやはり日本では終わってないんですよ。
自由主義の限界とか批判とか、分かるけど、古い理論やからって現代において必要がないということではないと思います。