セバスチャン

僕はどうもレッテルを貼るのも貼られるのも嫌いなようです。

"美しい"空を見たとき、
きっと僕とあなたとでは感じ方はちがうでしょう。

でも僕たちはそれをおしなべて"美しい"と言ってしまう。限られた言葉で自分の感じたことを表現しようとします。

自分の感じたことを言葉にしてしまうのが怖いんです。せっかく僕の中にしかない(かもしれない)この心の動きを言葉にしてしまうことは、心を歪ませてしまうようで。

僕はいろんな意味不明と言われる言葉を生み出したり使ったりしてきました。それは自分の感じたことを100%で表現したかったからです。

モンドリアンが好きなのはその思想にとても近いから。まあ僕の思想がモンドリアンに近いにすぎないのかもしれませんが、「美の感動はいつも対象の具体的なイメージによって阻害されてしまう。だから全てを抽象化しなくてはいけない」というのがモンドリアンの思想です。
最終的に少ない色と直線で全てを表現する独特のスタイルにたどり着いた彼は尊敬に値すると僕は思っています。

この人間世界ではコミュニケーションなるものが必要です。何かを伝えたいとき感じたことを相手の中で再現性高くなるようエンコーディングしなくてはいけない。

どこに行っても"変"とか言われるのは言葉で概念化した気持ちを僕が持たないからか、気持ちを言葉で概念化しないからなんでしょう。

それはこの世界でいい感じに生きるにあたって良くないのかも知れません。今までいくら頭で分かってはいても、何も変えることはありませんでした。
しかし、最近人に気持ちを伝えることの難しさというのをひしひしと感じました。僕には言葉による概念化の力が足りなかったんだと思います。

レッテルを貼るのも貼られるのも嫌いな自分は、レッテルを貼られそうになるといつも"らしくない"ことをしようとしてきました。
それはそれで良かったんだと思います。
きっとその人間本性は変わらないでしょう。
そんな自分にレッテルを貼るとしたら、一番単純なのは"あまのじゃく"ですかね。いや"Resistant"とかがカッコいいかな笑

余談で方法論的な話にはなりますが、人には想像力があります。だから、自分のそれまでの人生をできるだけ相手に伝えることで、自分のいま感じていることというのは少しでも伝わるのかななんて思いました。