名よ体を表せ
春に引き続き、秋も前代未聞の大失態にて無い内定と相成りました。
リスクを自覚していたとは言え、なかなかキツいものはあります。
反省すべきことと悔やむべきことが多すぎて。
東京に居るのもなんだかなぁという感じだったので、修論一章分の材料を持って大阪に逃げ帰ってきました。
材料を持ってきたとは言えやはり特に手をつける気にもならないのが世の常であります。
あんまり人にも会ってなくて、家でひたすら本を読んだり、一人でバイクで出かけたり、家でもにょもにょ考えごとをしたりしています。
ひたすら自分に矛先を向けて少し疲れてしまっていましたが、堕ちるところまで堕ちたからか、ちょっと楽になってきました。
分かりきっていることですが、自分が自由であるということに気が付きました。
自分を取り巻く状況は楽観視できないかも知れないけれども、しっかり生きることを求められる反面”自由である”ということが頭から抜け落ちていたことに気がつきました。
別にアラサーまで学生やってようが、何だろうが自由なわけです。
自分がそれで良ければ。何か策があれば。(やはり直感的な焦りはありますが)
誰に批判されたわけでもないのに、心中の観察者による批判を恐れて自分を責めすぎていたのかもしれません。
失敗を許される論理も一般論の中にはないかも知れませんが、自分が自分をひたすら責めていても無気力になるだけなら、図太くある方がマシなんだなと思いました。
真面目ってものにはそんなに値打ちは無いのかもしれません。
何か具体的なことを決めたわけではありませんが、この自由に感謝しつつ、少しは図太くならねばと思いました。
できないことはできません。そのときそのとき最善を尽くすまでです。